2023.10.29 [イベントレポート]
「小さな物語をあくまでもフィクションとして仕立てて観る方々に届けていく」10/25(水) トークショー:日本映画監督協会新人賞『やまぶき』

やまぶき

©2023 TIFF 左から井坂 聡さん、山﨑樹一郎監督、いまおかしんじ監督

 
10/25(水)日本映画監督協会新人賞受賞作品『やまぶき』上映後に、山﨑樹一郎監督井坂 聡さん(監督協会常務理事)、いまおかしんじ監督をお迎えし、トークショーが行われました。
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司会:市山尚三プログラミング・ディレクター(以下、市山PD):本日は「日本映画監督協会新人賞 上映とシンポジウムにお集まり頂きましてありがとうございます。それでは本日の登壇ゲストをお迎えしたいと思います。日本映画監督協会常務理事の井坂 聡さんです。拍手でお出迎えください。
 
日本映画監督協会 常務理事 井坂 聡さん(以下、井坂さん):井坂と申します、どうぞよろしくお願いします。本年でこの賞は63回目となります。第1回の様子はこちらに写真がありますが、1960年でした。今から63年前のことになりますが、その際には大島 渚監督が受賞されました。その際の日本映画監督協会の理事長が小津安二郎監督でしたので、小津監督が大島監督へトロフィーを授与している、記念すべき様子が記録に残っています。大変歴史が長いこちらの賞に、本年は山崎樹一郎監督の『やまぶき』を選ばせていただきました。本来であれば理事長の本木克英監督から賞をお渡しする予定でしたが、本日は撮影のため会場に来られないとのことなので、代理で私より賞を授与させていただきます。どうぞよろしくお願いします。
 
市山PD:この賞は、毎年いつ頃に公開された作品を対象にされているんですか?
 
井坂さん:2023年についていえば、2022年の1月から12月に公開された作品が対象になります。今年でいうと自薦・他薦を幅広く受け付けた中から35作品程度を1次候補にして、審査員がすべての作品を鑑賞して、喧々諤々と議論をした結果選んでいます。あくまでもこの日本映画監督協会新人賞は「監督が監督を選ぶ賞」なので、「作品賞」として選んでいるわけではない、という趣旨の性格をもっています。
 
市山PD:「新人賞」という名がついていますが、対象となる監督は、監督デビューから何本まで、といった規約はあるんですか?
 
井坂さん:長編で3本以内の作品を手がけている監督が対象となります。山崎監督は本作がちょうど3本目でした。
 
市山PD:ありがとうございます。錚々たる作品群の中から選ばれた山崎監督の『やまぶき』をまさに今皆さまにもご覧いただきましたが、山崎監督には今回このために東京までお越しいただきました。盛大な拍手でお出迎えください、山崎樹一郎監督です。
 
井坂さん:日本映画監督協会新人賞はトロフィーが正賞になります。そして、日本映画監督協会を応援してくださっている福岡県久留米市の大一産業株式会社様からも副賞がございます。
 
市山PD:山崎監督、おめでとうございます。それでは監督から一言ご挨拶をお願いいたします。
 
山崎樹一郎監督(以下、山崎監督):山崎樹一郎です。今回はこうした素晴らしい会場にご招待を頂きありがとうございます。そして日本の映画史を作ってこられた錚々たる過去の受賞者に続く形で、この日本映画監督協会新人賞を頂くことができ大変恐縮に感じていますし、同時に僕なんかでいいんだろうか、という戸惑いも感じています。この『やまぶき』という作品は、プロデューサーや多くのスタッフの、よい作品を作るんだというエネルギーが結集してできた作品です。僕は本当にそのエネルギーに満ちた現場の片隅にいたといっても過言ではないほどでした。ただ結果としてこうした賞を頂けたことを1つの励みにして、今後も映画や社会に向き合いながら、よい仕事に携われたらと思っています。ありがとうございます。
 
市山PD:ありがとうございました。ここからはいまおかしんじ監督にも登壇を頂きながらトークセッションを開始したいと思います。いまおかさんは今年のこの賞の審査員として携わられたんですよね。いまおかさんはこの『やまぶき』のどのような点に評価すべきところがあると感じられたんでしょうか?
 
いまおかしんじさん(以下、いまおかさん):日本映画監督協会のメンバー5人くらいで多くの対象作品を鑑賞して、何度も打合せをして決めるのですが、正直申し上げると『やまぶき』が満場一致でこれ、という形で選ばれたわけではないんですね。実はもう1本、森井勇佑監督の『こちらあみ子』という作品が最終の大賞候補に残っていたんです。そして大賞を決めるという当日に、審査員の入江悠監督が撮影で京都に行っていて、残りの4人で話し合うことになったのですが、その2作品で2対2に分かれてしまって、埒が明かないので入江監督に急遽電話しました。そうしたら入江監督が「僕はどっちでもいい」と言い出すんです。みんなで「いやいやそれじゃ困るんだよ」と言って、決断を促したところ「それなら山崎監督の『やまぶき』で」という形で最終判断して決定したという経緯がありました。こう話すとやけにギリギリ選ばれたような印象になるかもしれませんが、最終的に残った何本かは映画として非常に優れた、力強い作品ばかりでした。『やまぶき』は作品もさることながら、山崎監督がもっている伸びしろへの期待値も含めて、高く評価された印象があります。
 
井坂さん:私もこの賞の審査員を務めたことがあるのですが、多くの場合審査員の票が割れる傾向にあるんですよね。監督同士のこだわりがぶつかったりして、何時間も議論になるんです。決して最後は成り行きで、といったわけではなく、選りすぐった作品群の中から1番を決めるというのは審査をする側にとっても大変なことだということです。
 
市山PD:受賞は1本まで、ということなんでしょうか。過去に2作同時受賞といったことはなかったんでしょうか?
 
井坂さん:2作同時受賞はありますね。一番最近だと1993年に岩井俊二監督の『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』と寺田靖範監督の『妻はフィリピーナ』が同時受賞したことがありました。
 
市山PD:だったら2本同時受賞でもよかったんじゃないですか(笑)
 
いまおかさん:昨年の選考の際に大森立嗣監督に「この賞をもらうとその後仕事が増えたりするんですか?」と聞いたんです。そしたら「あまり仕事が増えるわけではないんですけど、やはり賞ってもらうと嬉しいんですよね」と話していて。ましてや新人時代にもらえる賞なので、いい励みになるはずなんです。山崎監督は、作品も運も強かった結果なんだと思います。
 
市山PD:今だから話せますがこの『やまぶき』という作品は、2年前に東京国際映画祭に招待をした作品なんです。当時私はこの作品を世の中で最初に観た中の1人だったのですが、その際にはロッテルダム国際映画祭への参加が決まったと言われてしまいました。かつロッテルダム国際映画祭はワールドプレミアでないといけないという条件があったため、ロッテルダム国際映画祭の前に東京国際映画祭で上映してしまうと、ロッテルダム国際映画祭に参加する資格を失ってしまうと言われ、やむを得ず東京国際映画祭への招待を断念した経緯がありました。山崎監督はこの経緯は知っていましたか。
 
山崎監督:はい。ただ、あまり言わないほうがいいのかと思いずっと黙っていました(笑)
 
市山PD:私もあまり口外してこなかった話ですが、こうして1周回って東京国際映画祭で上映できてよかったなと思っています。もちろん当時、東京国際映画祭で上映をしていたらそれはそれで話題になっていたんじゃないかと思いますが、ロッテルダム国際映画祭のような由緒ある映画祭の新人コンペに選ばれる機会を逃させてはいけない思いあきらめたのも、今考えるとよい判断だったのかもしれません。
ただ結局その時のロッテルダム国際映画祭は、コロナの影響で会場での上映がなく、インターネット上での公開だったんです。劇場ではない形での上映になるのは、『やまぶき』が非常によい作品だけにもったいないなと思っていたのですが、その後カンヌ国際映画祭のACID部門という、若い監督の先鋭的な作品を対象にした部門に呼ばれたと聞きました。ロッテルダム国際映画祭で正式に劇場で上映されていたら、もしかしたらカンヌ国際映画祭には呼ばれていなかったかもしれない分、東京国際映画祭から回りまわって結果的にカンヌ国際映画祭の上映作品になるという、すごい経緯をたどった作品だと理解しています。

 
山崎監督:『やまぶき』のプロデューサーを務めている小山内照太郎という人物が私の学生時代からの友人なのですが、フランス在住で彼のフランス国内のネットワークを通じてロッテルダムをはじめ様々な映画祭にエントリーをさせていただく形になりました。結果としてカンヌで上映されることになり、私自身が非常にびっくりしていました。
 
市山PD:カンヌ国際映画祭のACID部門は歴史がそれなりに長いのですが、これまで日本映画はおろか、アジア映画がエントリーすることすらほとんどない部門なんですね。多くがフランスをはじめとしたヨーロッパ映画が多いのですが、そこに初めて日本映画としてエントリーしたという意味では、ある種の快挙を果たした作品になります。またロッテルダム国際映画祭でも公式に上映されたことになっているので、ヨーロッパの主要な2つの映画祭に名を連ねるという、過去になかなか例を見ない作品になりました。山崎監督とはカンヌでもお会いした覚えがありますが、あのときの現地の反響はいかがでしたか。
 
山崎監督:かなり前になるのですが、本当に借りてきた猫のようにカンヌの町中を移動していた記憶があります。劇場も満員な上にQ&Aも長くて、通訳の方の訳を聞きながら観客の方々からのレベルの高い質問に対して必死で答えていたことを覚えています。
 
市山PD:現地の質問で驚かされたものとかはあったんですか?
 
山崎監督:夢中だったので、質問の内容とかはあまり覚えていないんです。とにかく長い時間、Q&Aに参加していたなと。なので、あまり具体的な内容は思い出せないのですが。
 
井坂さん:私は本日が初見での鑑賞だったのですが、特に有名な役者さんが出ているわけでもなく、その分ドキュメンタリーらしさをはらんでいて、非常に興味深い作品になっていると感じました。キャスティングなどはどのように検討と交渉を進められていったのでしょうか?
 
山崎監督:キャスティングは、こちらから依頼した役と、オーディションで決めた役の双方がありました。オーディションには多くの役者さんに来ていただいて、イメージに合う方や、人柄に惹かれた方などを選んでいきました。ただ主演の韓国人のカン・ユンスさんと祷キララさんは、こちらから依頼して出演をしていただきました。
 
井坂さん:お二人の作品を過去にご覧になったことがあったんですか?
 
山崎監督:祷さんは小さいころからインデペンデント系の作品に出ているのを目にしていて、ずっと気になっていた俳優さんでした。脚本を書く段階でも、祷さんに合えばいいなと思いながら取り組んでいたので、偶然彼女に出演していただけることになって、本当にうれしかったです。カンさんは、私が現在岡山県真庭市に住んでいるのですが、そこに実際に住んでいる方なんです。彼自身が世界を転々とする中で最終的に岡山県にたどり着かれたようで、彼と話をする機会があった際に、魅力的でおもしろい方だったので出演を頂くことになりました。映画作りの最中も色々と意見を伺ったりしたのですが、彼自身が演劇の勉強をされていたとも伺ったし、脚本も彼をイメージしながら製作を進めていたので、実際に演じるのも彼に依頼しようと判断しました。
 
井坂さん:1人1人の登場人物が、こういう人いるよなーと思わせる要素があったので、非常に観ていておもしろかったです。撮影期間はかなりこまめに区切りながら作られたんでしょうか?
 
山崎監督:撮影自体は1ヶ月で完了しました。ただ編集期間にコロナに突入し、かつ公開を急いでいたわけでもなかったので、時間をかけて納得いくまで編集しようと決めていました。結果として2年半くらいの時間をかけ、プロデューサの小山内さんやフランス人スタッフとZoomをつないでずっとうだうだ議論をしながら作業をしていました。
 
市山PD:フランスの方の協力も仰ぎながら編集作業を進めていたというのは、どういった理由があったんでしょうか?
 
山崎監督:編集作業についてプロデューサーの小山内さんに相談する傍ら、フランス人スタッフの意見も仰いだという形です。フランスと日本の岡山の間で意見を交わしながら、変えては見せ変えては見せ、というやりとりと作業を繰り返していました。
 
市山PD:フランス人の編集の方というのはどういった方なんでしょうか。
 
山崎監督:小山内さんの知人で、ヤン・ドゥデさんという非常に有名な方です。彼に作品を観てもらえることになって、よい点を挙げてもらうのとともにアドバイスを頂き、徐々に彼の意見を伺いながら作品を作る流れになりました。
 
市山PD:ヤン・ドゥデさんですか、めちゃめちゃ有名な方ですね!それはすごい。こうしたフランスと岡山の間で共同作業ができるのも、デジタル時代ならではだと感じます。少し前だとフランスの方に編集の協力を仰ぐのにZoom会話をしながら作品を観てもらう、ということもできなかっただろうと、改めてすごさを感じますね。
 
山崎監督:そうですね、まさにインターネットにありがとうございます、という感じです。
 
市山PD:フランスの協力を仰いだのは編集だけですか?
 
山崎監督:音楽もフランスのオリヴィエ・ドゥパリさんの協力を頂きましたし、アニメーションもセバスチャン・ローデンバックさんの力をお借りしました。
 
市山PD:めちゃめちゃ豪華ですね。今回の東京国際映画祭ではアニメーション部門でローデンバックさんの作品も上映されています。
 
山崎監督:このあたりも小山内さんの人脈を通じて実現しました。
 
井坂さん:そんなに有名な方を集めて資金繰りは大丈夫だったのでしょうか?
 
山崎監督:正直予算面では余裕がなかったので、フランス人のスタッフも「どうせ製作費がたくさんあるわけではないんだろ」という前提でお付き合いを頂いていた感じです。
 
井坂さん:自主制作で作られた作品ということですか。
 
山崎監督:自主制作という形でした。プロデューサーと協力して資金を出し合い、岡山県真庭市でクラウドファンディングを実施したり、地元の企業からも少しずつ協力を仰いだりしながら、前に進めたという感じです。
 
いまおかさん:作品のアイデアが先にあったうえで資金を集めたんですか。
 
山崎監督:そうですね、1本こんな作品を作りたいと思い、プロデューサーの友人に相談して、少しずつ形になっていったという流れでした。
 
いまおかさん:話のネタになるようなきっかけや出来事は何かあったんでしょうか?
 
山崎監督:最初はオリンピックの誘致の話を、岡山県の片隅から耳にしていたのですが、本格的に動き出す中で色々とごたごたしているなと感じていました。最初は「復興五輪」といった話をしていたと思うのですが、徐々に東京都にヒトもモノも集まっていく様子に違和感を感じました。そうした思いを抱える中で、2020年に向けて作品にしなければならないような気持ちになり、2018年から製作に着手したという感じです。
 
井坂さん:本当にいろんなテーマがこの作品には内在していますよね。その背景にはいろいろな怒りがあったのではないかと推察していて、観ていても作り手の怒りが込められているのを感じました。岡山と言えばNHKの「縮小ニッポンの衝撃」という番組を見たのですが、ベトナムの技能実習生を招き入れて、その市役所の前には金色のホー・チ・ミン像を建てていたんです。日本はこの時代、海外の労働者を受け入れない限りは破滅するだろうという文脈の中で、岡山の地方都市の切実な現状を描き出していました。
 
山崎監督:いろんな問題があるんですが、本当にどうすればいいんだろう、というやるせなさがありました。問題に気づきもしないし、発見もできないこともあるのですが、問題を描いて作品を通じて共有するのが映画の作り手としての小さな貢献にならないかなと感じました。
 
井坂さん:こうした複雑な問題に対する簡単には答えは出ないんですよね。ただこういう問題があるんだ、というメッセージを示すこと自体がすごく大事なんだと思います。それで世の中の議論のネタになれば、十分だと思います。
 
いまおかさん:社会の非常にまじめな要素も入りつつ、作中ではお金を勝手にもっていってしまうシーンなど、エンターテインメントの要素もきっちり入っています。本当に全部思いが詰まってるな、と思ったのですが、それは意図したところなんでしょうか??
 
山崎監督:編集の段階で様々な要素が含まれるように作品を作っていた部分はありました。問題提起ばかりだと観客の方もしんどくなってしまうのではないかなと思いましたし、小さな物語をあくまでもフィクションとして仕立てて観る方々に届けていく、ということも意識をしていました。
 
井坂さん:日本映画監督協会の会報を読んでいたところ、いま山崎監督が話された部分は審査の際に別の意見もあったと伺っていますが、いまおかさんはご存じですか?
 
いまおかさん:映画の中には、本当に日本の小さな地域で完結する作品もあるのですが、『やまぶき』は本当にグローバルなトピックにきちんと目を向けているな、というのが審査員の気を惹いたのではないかと思っています。本当に最終審査は『こちらあみ子』派と『やまぶき』派でケンカみたいな状態でしたね。
 
市山PD:本当におもしろい話が続いているのですが、ずっと時間がないというサインが出ております。最後に山崎監督から一言いただけますでしょうか?
 
山崎監督:少しでもこの『やまぶき』という作品を多くの方に気に入って頂けるようになると、作品自体がより多くの方々に観て頂けるようになるのではないかと思います。本日お越しいただいた皆さまには、ぜひこの作品を多くの方に薦めていただけると嬉しいです。

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