2023.12.25 [インタビュー]
TIFF Times号外 ケリー・ライカート インタビュー〈長尺版〉

ケリー・ライカート インタビュー

©2023 TIFF

 
取材・リード 赤塚成人 通訳&テキスト 山本航
 
ここに掲げるのは、11月1日付「TIFF Times」に掲載した、ケリー・ライカート監督の取材記事のフル・バージョンです。取材は監督が帰米する10月31日の朝、築地の東京国際映画祭事務局で行われました。
 
第36回東京国際映画祭の共催企画、「小津安二郎生誕120年記念シンポジウム “SHOULDERS OF GIANTS”」(10月27日三越劇場)に登壇するため、ケリー・ライカートは来日しましたが、シンポジウムでは時間が足りず、思う存分に小津作品を語れずに終わった嫌いがありました。この歯痒さを解消するために本紙は取材を行いましたが、デイリーの限られた紙面では要約を掲げるのみとなり、こぼれ落ちた話もたくさんありました。
 
『ファースト・カウ』(2019)と『ショーイング・アップ』(2022)が日本公開されたタイミングで、1時間近くあった取材の内容をまるまる紹介できることを、TIFF Timesチーム一同大変うれしく思います。号外のウェブ掲載に協力してくださった東京国際映画祭のスタッフに感謝を申し上げます。
 
 
Q: 小津安二郎のシンポジウムに参加されて、どんな感想をお持ちになりましたか?
 
アメリカ人として、日本の皆さまの前で、最も著名な監督についてお話するのは難しいものがありました。私にとって、今回が初めての日本訪問でしたのでたくさん質問をしたかったのですが…。そんな中、私は『東京物語』(1953)をロードムービーとして捉え、アメリカのロードムービーと比較してみました。また小津映画における女性の変化についてもお話しました。『風の中の牝雞』(1948)の田中絹代のような完全な被害者から、表向きはより強く、口数の多い存在へと進化していく様子についてです。ただ後期の作品にあっても、アメリカ人の目からは、女性が家族のための殉教者のように見えてしまうのですが。
 
それから小津作品によく出てくる、男性が床に脱ぎ捨てた服を女性がかがんで拾っていく場面についても訊ねてみました。小津はこれを、人が爪を切るのと同じ日常の光景として描いているのか? それとも男性と女性の役割について説明しているのか? アメリカ人の私にはよくわからない部分でしたので。
 
特に後期の作品、『彼岸花』(1958)や『秋日和』(1960)などの、台詞が切り詰められ、同じショット(画)が繰り返されている作品には驚嘆しました。同じ設定…オフィスや俳優、そしてカメラセッティングも同じ、テーマも同じ。それなのに美しくて完璧。余分なものは何もなく、それぞれのシーンが際立っています。男たちは自分の娘が誰と結婚するかについてすごく執着していますが、アメリカで男性がそんなことを考えるのはとりわけあの時代、軽薄とか女々しい噂好きみたいに思われていたものです。だから、いい年をした男性陣が集まって結婚話に花を咲かせるのを見るのは、とても興味深い。しかも妻である女性陣は、(娘が誰と結婚するのか)自分たちには明白である事実に、家庭内の実権を握る夫が気付くのを傍で待っているように見えるんです。小津からはマックス・オフュルス監督と彼の映画の主題を思い起こしますね。小津は実際のところ(登場人物である)男性たちがするような取り越し苦労もなく、答えにいたる女性の側にいるんです。
 
Q: 家で夫が脱ぎ捨てた服を妻が拾う場面を見て、女性差別的なものを感じましたか?
 
そうですね。シンポジウムでこのことを話したときにも、そうした印象を受けました。私が間違っている可能性もありますが…ミソジニーはもちろん見受けられます。 「床に落としたものはお前が拾え」という行為はかなり極端です。低姿勢で引っ切りなしにお辞儀をし、誰かのためにひざまずいて片付けをする訳ですから。アメリカなら脱ぎっぱなしの服は床に放置されたままでしょう(笑)。私が思うに…小津は出演する女優たちを愛していたと思います。だからそういった(=夫が脱いだ服を妻が拾う)動作の滑稽さについて物申している気がするんです。日本の文化を十分に知らないので、本当のところが私にはわかりませんけれど。
 
Q:シンポジウムではこのことが議論されずに終わってしまい、残念でした。監督のおっしゃる「日常の光景」として、小津は夫婦の一連の動作を演出しており、夫婦の仲の良さ、阿吽の呼吸を見せているように思います。きっと、多くの日本人が似たようなことを感じると思うし、映画が作られた当時の日本人があれを見て、夫が妻を侮辱していると感じることはまずなかったはずです。これについては、蓮實重彦氏が〈着換えること〉と題して「監督 小津安二郎」の中で主題論的に論じているので、ぜひお読みいただければ幸いです。アメリカで来春英訳版が刊行されますので…。
女性の視点から小津作品を観て、そのほかにお気づきになったことは? 「家族のための殉教者のように見える」とおっしゃっていましたが。

 
シンポジウムで上映された『お早よう』(1959)では、噂話をする女性たちはみな主婦でしたが、(翌年作られた)『秋日和』の母娘は社会に出て働いており、ハイキングに行った娘(司葉子)が「今のままで幸せ」と語る場面があります。この言葉は結婚の話になると繰り返し出てきて、床の服を拾うかわりに今の幸せのまま、シングルで生きる選択もありと考えているようにも思えます。けれど結局のところ、真のフェミニスト的な主張ではありません。最終的に娘は、親の面倒を見ることを周囲から期待されているからです。この点、日本とアメリカでは、結婚観や家族観が大きく異なるのかもしれませんが…。
 
女性運動が盛んだった1960年代から70年代にかけて、もし小津が映画を作り続けていたら果たしてどんなものを作ったのか、私には興味があります。
 
Q:ちなみに、小津以外の作品も東京国際映画祭でご覧になりましたか?
 
小津映画だけを毎晩観に行きました。彼の作品はこれまで全部で16本見ています。同じ作品を2度観たものもあります。日本では4本観ました。今回の旅はずっと小津と一緒で、まるで小津映画を通して日本を見ているようでした。街中で小津の映画を彷彿させる場面に何度も出合いました。たとえば、3歳くらいの小さな女の子がひとり道を歩いているのを見ましたが、彼女は自分の世界に浸りきりで、父親と5歳くらいの兄からかなり遠く離れてしまったことに気づかないふうでした。アメリカなら父親が大声で呼び止める場面です。でも父親はただ見守るだけで、不安を感じた(女の子の)兄が引っ張って注意を促してもまだじっとしています。やがて遠くに行きすぎた女の子が振り返り、自分がどれだけ離れてしまったのか気づいて戻ってくると、車が通り過ぎていきました。兄は見るからにホッとし、父親も娘を叱ったりせず、ただその手を取って再び歩き始めました。これぞ「小津だ」と感動しました。美しい光景でした。
 
Q: 今回の初来日で、小津や日本について何か新発見したことはありますか?
 
日本人は集団主義的(collective)で、アメリカ人は個人主義的な気がします。そのせいか、小津の映画はとても入念な感じがあります。日本では誰もが仕事に長けており、業務内容に関係なく、人々は最善を尽くしているように見えます。アメリカとものすごく違い、すべてが細部にわたって考え抜かれているんです。引き出しの中には…必要な小物が完璧な形で整えてある。
 
(日本に来て)方々歩き回っていると、ときどき道に迷うほど圧倒されることがあって──『浮草』(1959)は私がこれまでに観た中で、最も美しいイメージがちりばめられている作品でしたが──街を歩いていても…あの映画と同じ美しさを感じることができます。駅の近くに駐めてある自転車に鍵がかかっていないなんて、これこそ共同体(collective)の美質です。
 
Q: 写真とメモ書きでいっぱいのノートをお持ちですね?
 
カンニングペーパーです。この旅のため、シンポジウムのために作りました。シンポジウムでは2時間話すかもしれないと思ってたのに、実際は2分で終わってしまいました(笑)。すごく緊張していました。でも短かったことは気にしていません。
ケリー・ライカート インタビュー
 
ケリー・ライカート インタビュー
 
私は日本でたくさんの小津的な写真を撮りました。彼の目を通じて風景を見て、そして撮っていました。廊下や路地裏を小津はいつも撮影をしていましたね。それらを見て、とても美しいと感じていました。
 
Q: あなたの映画のお話も聞かせてください。
 
自作に関わる話をしていいなら、私の最も新しい作品に陶器がたくさん出てくることもあって、(今回の来日では)京都まで足を伸ばして、陶芸家の河井寛次郎(1966年、71歳没)の記念館に行ってきました。お住まいだった場所が工房で、そこに巨大な窯があるんです。美しい場所でした。
 
Q: その最新作『ショーイング・アップ』とひとつ前の『ファースト・カウ』が12月に日本で劇場公開されます。
 
これまで日本では、何か1本が1度上映されただけだと思います。だから日本の方がどうやって私の作品を知ったのかよくわからなくて。ストリーミング配信でしょうか?
 
Q: いまは配信もありますが、2020年と2021年にあなたの特集上映が催されて、大変話題になったんですよ。
 
そうなの。知らなかったわ。グレイト! 日本で公開されるのはとてもうれしいです。『ショーイング・アップ』では『雨月物語』(1953/ 溝口健二)のことをよく考えていて、『ファースト・カウ』でも大きな影響を受けています。だから日本で上映できてよかった。私が最も影響を受けたのは、おそらくフランスと日本の映画監督からです。小津安二郎のような日本の映画監督は、「大丈夫、ゆっくりやってもいいよ」と教えてくれます。役者を見つめるとき静寂は大切です。ブレッソンも同じことを言っていましたね。キャラクターも常に場所の一部であり、彼らのいる環境が非常に重要で、熟考されているんです。『雨月物語』やサタジット・レイのオプー 三部作──『大地のうた』(1955)『大河のうた』(1957)『大樹のうた』(1958)──でも、これらの要素は非常に重要でした。小津は地面に近い、とても低い位置から撮影しています。ですから私も、低い位置から撮影された映画を参考のために観ていました。
 
Q: あなたはこの夏の「バーベンハイマー」騒動に懐疑的でしたね?
 
ひとつのインタビューで話しただけなのに、取材した男性ライターに大ごとにされてしまいました。どちらの映画も観ていないのに(笑)。私はただあの(宣伝の)猛プッシュに辟易していたんです。2つの映画をミックスする考え方。そして、この『バービー』という映画が何にでもなれる、できるという考え方に。あくまでもプロモーションに関してです。巨大なプラスチックのおもちゃの会社で働いていても、アートを作ることができるという考え方は馬鹿げていると思います。監督に対して言っているではありません。プロモーションにげんなりしただけ。でも、アメリカ人も日本人もマーケティングが好きですよね。日本人の視点から『オッペンハイマー』現象を見るのはさぞ奇妙なことでしょうに。
 
Q: 『ファースト・カウ』では2つの社会を描いています。先住民の世界と白人の世界。これは意識的なものですか? あなたにとって …
 
これは私にとって映画の支柱となるものです。共同で脚本を書いたジョナサン・レイモンドにとっても同じことです。太平洋北西部に渡ってきて先住民コミュニティを壊滅させた毛皮商会は、本作では征服者です。彼らがこの地を略奪する(西部開拓の)最初期に、すでに階級制度は存在していました。毛皮商会の会長の家のシーンでは、その当時、サンドイッチ諸島と呼ばれていたハワイ出身の召使いがいて、それから中国人、先住民の妻──これもまあ、当時はインディアンと差別的に呼ばれていた訳ですが──もいます。こうした人種の幅広い層の間に貧しい白人と裕福な白人がおり、女性たち──先住民女性もいる。これはつまり、(さまざまな人種間の)階層を物語るシーンであり、通貨が存在する前から階級制度があったことを指し示しているのです。
 
ケリー・ライカート インタビュー
 
 
ケリー・ライカート監督作品
ファースト・カウ
⇒ 公式サイト
12月22日(金) より東京・ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー
ファースト・カウ

©2019 A24 DISTRIBUTION. LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

 
ショーイング・アップ
⇒ 公式サイト
12月22日(金) より特集上映「A24の知られざる映画たち presented by U-NEXT」にて上映
東京・ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて4週間限定ロードショー
ショーイング・アップ

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